サムライ放談14・・東日本大震災から1年


2011年3月11日午後2時46分大地震が発生し、福島、宮城、岩手の沿岸に大津波が押し寄せて未曾有の災害から1年が過ぎた。全国から数々の支援やあたたかい励ましをいただき「絆」を実感した。


 ところで、私が住んでいる下柴では会津彼岸獅子舞の発祥とされる「下柴彼岸獅子」の活動を行なっており広報を担当している。この下柴彼岸獅子は優雅な舞で古風さが残されており、春の彼岸に市内で舞うことから「春を告げる彼岸獅子」として有名である。


 先日、横浜市鶴見区による「東日本大震災復興応援フェスティバル」が鶴見区文化センターで開催され下柴彼岸獅子が招かれて演舞を披露した。このような被災地の郷土芸能などを招いての励ましに感謝したい。


その後、地元で行なわれた「喜多方発!ふくしま福幸フェア」では下柴彼岸獅子舞が復興への祈願をこめた舞を披露した。郷土芸能を受け継ぐ者のささやかな支援であるが機会があれば続けたい。


 

事故地の照度調査

先日、北関東のある事故地の照度調査を痕匠塾生の佐久間と行なった。ここで重要なことは、1年後に事故日と同じ日時での調査である。このような調査日時の客観性を示す方法に長年の経験が生かされる。

 

サムライ放談13・・議事録を作成しない怠慢

 先日、岡田副総理は、東日本大震災に関係した重要会議のうち10会議で議事録が作成されなかったことを明らかにした。これを聞いて大勢の者が「まさか」と疑ったであろう。

2万人近い死者不明者の大震災と原発事故、その重要会議での議事録を作成していないとは呆れる次第であり、果たしてこのような政府が責任を持って「危機管理」が行なえるのか、疑問が生じる。


また、歴史的事実に基づく公文書は国民共有の知的資源であり、とりわけ、このような未曾有の大震災と原発事故の対策会議の議事録は後世に残すことで教訓となるが、どうもそのような認識すらないようである。この件に関して、野田総理は「今から作れば良い」と能転気なことを言っているが、一字一句誤りなく再現することは不可能である。


原発事故でとんでもない被害を受けた福島県民はこの程度の政府の対応に失望すると同時にこれから何を頼りに復興すべきか不安となる。それにしても、この件で再び諸外国に日本の恥をさらす結果となった。

時はめぐり白銀の世界

会津は今年も白銀の世界となったが、例年よりも雪が少なくその分冷え込みが厳しい。
あの大震災から10ヶ月が過ぎ、やはり風評被害は続いており観光などはこの寒さと同じように冷え込んでいる。しかし、時には「絆」による支援を頂いていることでの暖かさは格別である。
 

事故現場調査(山口県宇部市)

9月17・18日と山口県宇部市へ事故現場調査に出向いた。数年前の事故でいまでは路面上に痕跡が残されることはないが、交差点の形状は当時のままである。道路や交差点の形状が事故状態の解明につながる。したがって、事故当時と変化のない状態は解析要素となる。

 

サムライ放談12・・大震災および原発事故から半年

 9月11日で大震災から半年が過ぎ、同時に原発事故による避難指示が出された12日から半年が過ぎた。この間全国からご支援や励ましが多く寄せられて感謝している。

原発事故により避難する人々は、当初ひと月程度で帰れるだろう、長くても半年もすれば我が家に帰れるだろうと、着の身着のままで避難した人も数多いが、現実は半年経った今でもまったく先が見えないのである。


この原発事故により、福島の企業、農漁業、観光など予測できないほどの損害を被り、子供たちは全国に散らばり、家族や友達とも離れて避難している現状である。時にはメディアで福島の現状が報道されるがこれはほんの一部であり、目には見えない損害も多々ある。


ところで、鉢呂経産大臣が原発事故被災地を見て「死の町」と表現し、「放射能をうつす」という趣旨の発言をして就任9日目の10日に辞任した。それ以前の7月には、当時の松本復興担当大臣が宮城県の村井知事との会談で、出迎えが無かったことを叱責し語尾を強めた発言し、岩手県知事との会談では、今後の復興について「知恵出したところは助けるが、知恵出さないやつは助けない」と言い放って辞任していた。
この両大臣の辞任劇を見て、同じ動画を見るような陳腐な光景にあきれ果てた。このレベルの政治家で果たして本当に復興するのか、疑問でならない。


そもそも、この両大臣には、私人と公人の区別の理解がなく、ただ感情任せの言動を披露し世間を騒がせただけの人物である。